小さな港町のクラブが、21年ぶりに手を挙げた
YCE(ユースキャンプ及び交換)は、ライオンズクラブ国際協会が続けている青少年交流です。若者は地元のライオンズクラブなどの推薦を受けて海外へ出かけ、行き先のライオンズの家庭やキャンプで過ごします。地元紙によると、デンマークのライオンズは毎年およそ50人の若者を海外へ送り出しています。ヒアツハルスのクラブもこれまでに10人を送り出してきました。男女半分ずつで、行き先はアメリカが多かったそうです。
2026年5月、キャンプの準備を伝えた記事は、参加者が27人、男女ほぼ半数ずつで、ベルギー、ブラジル、フィンランド、インド、インドネシア、イタリア、メキシコ、ノルウェー、ポーランド、ルーマニア、セルビア、スペイン、タイ、チェコ、トルコ、ウクライナの16か国から来る予定だと紹介しています。実際に7月に集まったのは25人でした。応募した若者は、どの国へ行くことになるのかを前もって知らない、とも書かれています。分かっているのは、同じ交流の仕組みで若者を迎え、送り出してもいる国のどこか、ということだけです。
若者たちはまず1週間、デンマークの家庭で過ごしました。そのあと7月4日から18日までの2週間、町の体育館に寝泊まりしながらキャンプを過ごします。キャンプ長はクラブの会員で、ボランティアとして最初から最後まで付き添い、困ったことがあれば何でも引き受ける役目を担いました。食事と宿泊は、体育館のスタッフが支えています。
歓迎式で語られた「二つの道」
7月4日の土曜日、体育館の前には参加国の旗が並びました。歓迎のあいさつに立ったクラブの会員は、若者たちにこう語りかけています。人生には二つの道しかない。ユースキャンプに行くか、行かないかだ。家にいるのは安全な道で、出かけることは自分の慣れた世界の外へ踏み出すことだ、と。そして「ライオンズは枠をつくるために力を尽くしたけれど、その枠を経験と笑いと思い出で満たすのは、あなたたちだ」と続けました。
このあと、キャンプ長と地区のガバナーに続いて話したのが、21年前にこのクラブからカナダへ送り出された元派遣生です。今は49歳で、博士号を持ち、オールボー大学で教えています。彼は、あのキャンプが人生の転機になったと振り返りました。地元の合唱団がデンマークの国歌と「イマジン」を歌い、コーヒーとケーキで初日を締めくくっています。かつて同じクラブから旅立った人が、目の前の若者たちに自分の歩みを語ることで、クラブが長い年月をかけて続けてきた交流が、一本の線でつながって見えたのではないでしょうか。
海の町を、天気と相談しながら
キャンプの毎朝は、体育館の前でデンマークの国旗を揚げることから始まりました。2日目の日曜日は天気が荒れたため、まず体育館の中で、チームで取り組むゲームをして打ち解けます。そのあと二手に分かれ、一方は地元のサーフィン教室の指導で海へ入り、もう一方は西の防波堤のそばに立つ「黒い塔」まで歩きました。夜は体育館でバーベキューです。
月曜日は長さ87メートルの漁船の中を見学しました。午後に予定していたサーフィンは、波が高すぎて取りやめになります。それでも若者たちはウェットスーツを着て、北海の水の冷たさを肌で確かめたそうです。浜辺でのバーベキューも、体育館の中に場所を移しました。火曜日は町の教会で、オルガンの演奏を聞きながら静かに過ごす時間を持ち、博物館の庭で、燻製のニシンやサーモン、魚のすり身を揚げたもの、カレイといった港町の料理を味わいます。博物館では、1919年から1931年にかけて港がつくられ、町がそのまわりに育っていったことを学びました。古い漁船での港めぐりは、強い風のため港の中だけになりましたが、夜はそれぞれの国の紹介で盛り上がっています。
水曜日は北へ足をのばし、デンマークの最北端スケーエンを訪ねました。案内したのは、地元スケーエンのライオンズクラブです。画家たちが暮らした町の美術館を見て、トラクターが引く乗り物で砂州の先端グレーネンへ向かい、二つの海が出合う波打ち際で、片足ずつそれぞれの海に立ちました。ほかにも、北海の水族館と研究施設、砂丘にのみこまれかけた灯台として知られるルビャウ・クヌーデ、近くの川でのカヌーなどが続きます。
ルビャウ・クヌーデを訪ねた日の様子は、地元のテレビ局も伝えています。ブラジルから来た参加者は、デンマークはずっと穏やかな国だと感じたと話し、「どの家の庭にもトランポリンがある」と笑いました。ウクライナから来た参加者は、このキャンプが人と人のあいだに橋をかけることを願っていると語っています。キャンプ長は、数日のうちに若者たちのあいだに強いつながりが生まれていくのを見て、心を動かされたといいます。
15日には町の灯台と、第二次世界大戦中にドイツ軍がつくった掩体壕(コンクリートの防空施設)の博物館を訪ねました。灯台の歴史を語ったのは、灯台でボランティアをしているクラブの会員です。掩体壕は地元の保存団体の代表が案内し、お弁当を持っての3時間ほどの見学に、たくさんの質問が出たそうです。案内役の多くが、クラブの会員や町の人たちだったことは、このキャンプの大きな特徴です。
暮らしと民主主義にふれる日
キャンプの記事が繰り返し伝えているのは、デンマークの日々の暮らしと文化、そして民主主義の考え方を伝えることに重きを置いた、という点です。若者たちは隣のヨーリング市で、ごみを燃やして熱と電気をつくる施設を見学し、ごみの分け方を学びました。デンマークは、ごみの再利用で先を行く国としてよく名前が挙がります。市役所の議場では市議会議員から、市の仕事と地方の政治の仕組みについて話を聞いています。
予定の決まっていない時間も、わざと残してありました。準備の記事には、自由な時間にこそ友情が生まれるから、とあります。クラブは自転車を借りて用意し、若者たちは自転車で町の店まで出かけました。体育館では、トランプやスポーツ、サッカーの試合の観戦を楽しみ、前回までのキャンプで若者たちが音楽を持ちこんだ経験から、クラブは楽器も用意しています。
キャンプの見どころの一つが、半ばに開く中間パーティーです。今回は若者たち自身がパーティーを企画し、ホストファミリーとクラブの会員を招きました。音楽や踊り、歌を披露し、コーヒーとケーキから始まって、最後は3品のコース料理まで続いたそうです。迎えられる側だった若者が、今度は迎える側に回る時間になったのでしょう。
町じゅうで支えた2週間
閉会のあと、クラブは地元紙を通して協力者にお礼を伝えています。拠点になった体育館のほか、地元のスーパーはアイスクリームを、別のスーパーはキャンプのあいだずっと果物を差し入れました。地元の報道会社は灯台でドローンの映像を撮り、テニスクラブも協力しました。サーフィン教室、教会、博物館、古い漁船の持ち主、スケーエンのクラブ、水族館、灯台の運営団体、ごみ処理の施設、市と市議会議員、カヌーの貸し出し、掩体壕の保存団体、合唱団、そしてホストファミリーとボランティア。名前が挙がった協力者は20を超えます。
お金の集め方にも、このクラブの考え方が表れています。準備の記事によると、クラブが地元の催しで集めたお金は、キャンプには使っていません。キャンプを支えているのは、世界中のライオンズの会員が毎年納める会費と、地元の財団からの寄付です。財団として名前が挙がっているのは、海の仕事にかかわる財団、ヒアツハルス港、地元の銀行の基金などです。地元で集めた奉仕のお金と、交流のためのお金をはっきり分けていることが分かります。
キャンプ長は閉会後、「私たちはみんなで、ヒアツハルスとこの地方、そしてライオンズが何を大切にしているのかを世界に示した。それは、仲間とのつながりと、助け合いと、国境をこえた友情だ」と語りました。クラブは、このキャンプが国際理解の種をまいたことを願っていると話しています。5月の記事の時点で、2027年に海外へ送り出す若者の募集も始まっていました。
このキャンプから学べること
もしあなたが高校生なら、まず知っておきたいのは、行き先の国を自分で選べるとは限らないことです。このキャンプのように、16の国から集まった若者の一人として、初めて名前を聞く町で過ごすことになるかもしれません。キャンプの予定表には、全員が「自分は誰で、どこから来たのか」を発表すると書かれていて、同じ国から3人以上が来る場合は、一緒に準備するよう求めています。日本の暮らしや自分の町のことを、短く楽しく伝えられるように準備しておくと、最初の夜から話の輪に入りやすくなるはずです。北の海辺の町では、夏でも風が強く、雨の日もあります。予定が変わっても、ウェットスーツを着て海に入ってみた若者たちのように、その日にできることを楽しむ気持ちで出かけてください。
保護者の方にとって安心材料になるのは、キャンプの決まりが細かく示されていることでしょう。予定表によると、部屋は2人で1部屋、着いた日に鍵を預かる約束の書類に署名し、パスポートや貴重品は鍵のかかる保管庫に預けます。夕食の後片付けは小さなグループで分担し、その日の日記を書いて、キャンプのフェイスブックに載せます。写真が載ることへの同意も、着いたときに確認されます。キャンプ長が最初から最後までつきっきりで、宿泊と食事は体育館のスタッフが支えていました。
ライオンズクラブのメンバーとしてこのキャンプから学べるのは、町の人たちを案内役に巻きこむやり方です。灯台や博物館、漁船、サーフィン教室など、町がもともと持っている場所と人を、そのままキャンプの予定に組みこんでいます。元派遣生を歓迎式に招いたことも、中間パーティーを若者自身に任せたことも、費用をかけずにキャンプを深くする工夫と言えます。地元紙が何度も記事にしたことで、町の人たちもキャンプを身近に感じたのでしょう。日本のクラブが海外の若者を迎えるときにも、自分たちの町の港や工場、市役所、そして身近な派遣経験者を思い浮かべてみると、予定表の材料はきっと見つかります。
補足
- 日ごとの予定と、部屋や貴重品、後片付け、国の紹介についての決まりは、デンマークのライオンズのユースキャンプのページにある予定表によります。予定表は事前に示されたもので、実際の日程は天気などで変わっています。
- 参加者の人数は、準備の段階では27人、キャンプ中の記事では25人です。国の数は多くの記事で16か国、閉会後の記事では15か国となっています。この記事では、キャンプ中の記事の25人と16か国を使いました。
- 参加国の一覧は、2026年5月の準備の記事によります。実際に来た顔ぶれとは異なる場合があります。
- キャンプ中の様子、協力者、費用の考え方は、地元紙『NordsøPosten』の2026年5月から7月の記事によります。ルビャウ・クヌーデの日の参加者の言葉は、同紙が地元テレビ局の報道を引いて伝えたものです。参加者や会員の名前は省いています。
- 写真は、南西から見たヒアツハルスの灯台と、そのまわりの草におおわれた砂丘、北海の浜辺です(Hirtshals Lighthouse, Southwest view、撮影 DXR / Daniel Vorndran、2015年6月、Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0)。トリミングと明るさの調整をしています。
※日程や参加国、募集の有無は年によって変わります。最新の情報は、地元のライオンズクラブや地区に確認してください。
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同じデンマークのキャンプの例として、ヴィゼベクの農業と風——「Active Living – Green Thinking」が描く西ユトランドYCEがあります。町の人たちが案内役になる別の例は、毎日ちがうクラブが案内役——オランダのライオンズ・ユースキャンプで紹介しています。